Peu (ペウー)
[2004.7.1]
彼はジーコサイトの中で一番アクセスされているコーナー“ジーコの部屋”の中に出てくる偉大な人物の一人である。3文字だけで知られている P−E−U。アラゴアス出身、フラメンゴの元選手、本名ジュリオ・ドス・サントス・アンジェロ。彼は慢性的に口ごもった言い方をすることもあるが、話題の主役になるだけではなく、自ら話題を提供してくれるのだ。この元アタッカーをもう少し知るためにインタビューをした。44歳の彼に、今までサイトで語られてきた伝説は本当なのか確認する事と、今現在は何をしているのかについても聞いてみた。
―ペウー、始めにこのニックネームは何処でついたのですか?
それが今日までいったい何処でそうなったのか解からないんだ。私の母親が言うには街路から来たそうだけどね。家では誰もその様に呼んでいなかった。恐らくストリート・サッカーをしている頃だったろうけど、何の意味かも知らない。いつの間にかみんながペウーと呼んでいて、それが定着してしまった。
サッカーを始めたのは何時頃から? それにどうやってフラメンゴに入って世界チャンピオンになれたのですか?
アラゴアスのCSAのピッチで生まれた。私の母親はクラブの洗濯係をして、父親は用具係りもやり、警備員もやり、クラブのことを何でもやっていたから。ピッチで生まれたようなもので、色々な選手がプレーするのを見ていた。CSAで育って行く選手たちも随分見ていた。フルミネンセやコリンチアンス、その他のクラブに行ったのもいるよ。私は当時のデンテ・デ・レイテ、今のインファンチール(15歳のカテゴリー、日本の中学生・ジュニアユースにあたる)の時から本格的に始めた。U - 15チームでチャンピオンになって、17歳の時にプロ・チームに上がった。そこで監督をしていたオルランド・ペサーニャと出合った。彼がフラメンゴへ行くように薦めてくれたんだ。始めて家を出て、リオにあるフラメンゴへ向かった。あの頃からフラメンゴは私の心のチームだった。1981年から1985年まで練習場のあるガベアにいた。
アラゴアスではフラメンゴとの繋がりはいつも強かった思いがあるなあ。特にジーダの影響が大きいのでね。私の父親はジーダの用具係もしていて、よく彼の話をしてくれた。彼は私のヒーローだったからね。
君はこのサイトで良く君の事が語られているのを知っていますよね?ここで語られていることは全部実話ですかペウー?
ウソとは言えないよ。でも大体が大げさな話になっているね。でもみんな本当の話だよ。私自身いろんな話をしていたからね。我々は家族と同じだったから、グループでいつも一緒に居たよ。面白い事は合宿での日々にはいつもあって、悪ふざけも出ていたね。
選手達の雰囲気はそれ以上のものは無い位良かった・・・・・
その通り。とても良かった。合宿ではいつも話す時間があって輪を作っていた。殆どの連中が寄って来ては自分の話を語っていたね。彼らはいつも私の話が何か無いか?と聞いては二つあると言っていた。(笑い)特にアジーリオなんかは同じ話ばかりを繰り返すんだよな。(笑い)
なぜ君だけいつも選手達から笑いの標的にされていたのですか?
なぜかなあ?それは難しい。ただ、みんな私を狙っていたよ。アジーリオ、ジュニオール、・・そしてジーコは何か私に仕組んでやろうとしていましたね。最近の話では彼らは知っているのに知らぬ振りをする悪者になっているよ。(この話はサイトに載せられた)
君はブラジルサッカーの歴史に残るスター選手チームに居合わせたのだけど、その事についてどう感じていますか?
あんなに凄いメンバーがいたのを気付いた時は大変な喜びだったよ。チームは大変強かったね。私でも誰でもベンチにいて、交代で入った者はピッチで凄いプレーが出来ていたよ。仲間の誰もが互いにサポートし合っていたから余計に試合も上手く行っていたんだろうね。チームにいた事で面白いことがあったよ。82年のある期間、サポーターが我々の反対チームを応援していた。マラカナンで我々が逆転する所を見たかったらしい。変な状態だったなあ、あれは。
君のプレーを良く知らない人達に、どんな選手だったか言えますか?
そうだな、凄く速いアタッカーで、すばしこくて、パス回しが早かった。マークをはずすのが上手くてエリアの外からシュートするのが得意だった。幾つかの記憶に残る試合があるよ。
フラメンゴがフォルタレーザに8対0で勝った試合なんて、ブラジル選手権でのフラメンゴ史上最大だよ。私がその内の2点ゴールして、残り全部アシスト、ジーコはその時1点ゴールを決めた。凄い記録だよね。だけど、もっと印象に残るのは82年のブラジル選手権での準決勝、グアラニーに2対1で勝った時の試合。私はあのマラカナンでの試合では最高のプレーが出来た。
あの頃ジーコとの関係はどうでした?
私のヒーローはジーダだった。でもジーコにはいつも大きな感慨を持っていた。彼が試合をしている時はいつも応援していたし、それは今でも変わらずに友情も続いているね。
フラメンゴ以外でのサッカー人生を語って下さい。何処を歩いて来ましたか?
もう沢山の所でプレーして来た。85年にフラメンゴを出てからボタフォゴに行った。それからメキシコに行ってモンテレイでプレーして、戻って来てからクルゼイロでやって、サンジョゼーにも行って、それでこのアラゴアスのCSAで引退したよ。 1994 年だったかな。でも心はずーっとフラメンゴだった。
今のフラメンゴを見て君はそう思いますか?
フラメンゴは今、元のフラメンゴになろうとしているね。少しずつだけど。ジャイメ、アジーリオ、ジュニオールが戻って来てフラメンゴの顔になりつつあるよ。私が現役のころ、下部組織にはジーダがいて、シウバ・バトウータにモデスト・ブリアがいた。フラメンゴはそうでなくてはいけないと思うよ。クラブの為に長い間プレーをした人達にチャンスを与えてやらないとね。彼らが歴史を作っているのだから。サッカーをやっていただけではなく、サッカーを良く知っているよ。そしてそれを受け継がせることも知っている。そこが他の人達とは違うんだな。
では最後になるけど、ペウー、君は今何をしているのですか?
うん、私はもう 7 年指導者として仕事をしているよ。もうスクール、ジュベニールも担当して今はとても良いよ。イタクルバ・スポーツ・クラブの監督をしていて、ブラジル選手権のセリエCを戦うことになっている。ひょっとしたらブラジリアのCFZと当たるかもしれない。うちのチームと対戦する事は簡単じゃないよとジーコには言ってあるけどね!イタクルバは最近非常に良い成績を出して来ている。下部組織部門がしっかりしているので、セリエBに上がることを望んでいるよ。この前もいい選手も出てサンタ・クルースに送った。その内にフラメンゴへ強力なアタッカーを送り込めるかも知れないよ!


