経歴
「名チームは、名ゴールキーパーから始まる」と言う名句は、フラメンゴに於いて1970年代以降には新たなる語義が持たれました。フラメンには、黄金世代全盛期に素晴らしいゴールキーパーが2名を在籍していました。クラブで15年間に亘る選手歴を築いた、アントニオ・ルイス・カンタレーリ(ミナス・ジェライス州アレーン・パライーバ市出身)がその一人でした。
ガーヴェア(フラメンゴの本拠地)に、あの無敵のチームが編成される前年(1973年)に、カンタレーリは20歳でフラメンゴのトップチームと契約をしました。当時のカンタレーリは、レギュラーとなるチャンスには恵まれませんでした。同じゴールキーパーのポジションには、へナット選手がいました。
その後、カンタレーリは、1974年に初タイトルを手にしました。ヘナット選手とポジションを分かち合いながら、ジーコ、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ、ホドリグェス・ネット、ドヴァウ選手等と共に、ザガーロ監督の下、リオ・デ・ジャネイロ州選手権チャンピオンに輝きました。
1975年から1977年までの3年の間に、カンタレーリは守護神としての座を勝ち取りました。1年目は、依然としてウビラジャーラ・モッタGKとレギュラー争いをしましたが、その翌年と3年目は守護神としての不動なる地位を確立しました。彼は、チームに入団してくる有能な、ジュニオール、ホンヂネーリ、アヂーリオ、などの選手達の姿を見守り、黄金世代が形成される瞬間でもありました!
1978年も継続して、カンタレーリはクラブに残留しました。しかし、クルゼイロで12年間ゴールマウスを守り活躍し、その後フラメンゴへ移籍して来たハウー・プラスマンにレギュラーの座を受け渡しました。カンタレーリは、1979年に達成した州選手権3連覇のように、フラメンゴの輝かしい数々の制覇に参加した選手の一人です。そして1983年には、ナーウチコへ短期間の移籍をして、ペルナンブッコ州選手権準優勝も果たしました。翌年には、フラメンゴへ復帰して、1989年に引退を決意するまで在籍しました。
彼のタイトルリストは大変豊富であり、フラメンゴのユニフォームを背負って549試合に出場して、338回の勝利し、130試合引き分けて81敗という功績を残しました。そして彼の輝かしい経歴は、引退してからもさらに続いています。1992年のブラジル全国選手権ペンタカンペァオン(5回優勝)達成時には、ゴールキーパー・コーチとしてチームに貢献し、フラメンゴのブラジル全国選手権全タイトル制覇にも関わっていました。
現在は、ジーコと共に日本代表の一員として、ゴールキーパー・コーチをつとめています。仲間内に「カンタ」で呼ばれる彼は、現役引退後に選択した職業でも成功を収めました。1992年のブラジル全国選手権のタイトル以外にも、テクニカルスタッフの一員として、1996年に鹿島アントラーズでJリーグ優勝、2002年にはコリンチャンスでコッパ・ド・ブラジル及びリオ・サンパウロ杯を制覇しました。カンタレーリはアル・アインのゴールキーパー・コーチとしてもサウジ・アラビア選手権で優勝しているのです。
最近のタイトルとしては、2004年のアジアカップ制覇を挙げることができます。



