経歴
アヂーリオ(アヂーリオ・デ・オリヴェイラ・ゴンサオヴェス)は、1980年代に世界に君臨したフラメンゴの黄金世代列伝を築いた偉大なる英雄の一人です。彼は非凡な才能の持主であり、敵の攻撃を切り崩す巧みさや、狭いスペースで適切にゲームを組み立て、完璧なパスを出せる能力を持ち合わせていた。そして、エリア内での攻撃参加もできる選手でした。完璧なミッドフィルダーとして、ジーコやアンドラーデと共に、敵に脅威を与える中盤を構成していた選手です。
アヂーリオは幼年の頃、フラメンゴと不思議な愛情で結ばれていました。レブロン地区のスラム街の立ち退きにより、発生した集団の住民だった幼年時代には、フラメンゴの練習を見るために、クラブの塀を飛び越えていました。彼は6歳の時から既にフラメンゴに通っていたのです。下部組織の全てのカテゴリーから常に傑出した存在として所属し、述べ約24年間に亘りフラメンゴに在籍しました。
彼は21歳にして、背番号8を背負い、フラメンゴの中盤を構築する不動のレギュラーとして活躍していました。研ぎ澄まされた高度な技術の持主であり、さらに闘争心溢れるスタイルがレギュラーの座のみではなく、サポーターの心をも掴みました。フラメンゴの、 1978年から始まり、1981年のトヨタカップ制覇で絶頂期を迎え、数々のタイトル奪取に不可欠な存在でした。彼はフラメンゴの選手として、ブラジル全国選手権3回優勝と、そしてリオ・デ・ジャネイロ州選手権4回優勝と言う輝かしい実績を挙げました。
フラメンゴの選手として 1975年から1987年まで、更には1993年の短期在籍を加算すると、アヂーリオは合計 611試合に出場し、128得点を記録しています。
フラメンゴで背番号8としての彼は、その実力でブラジル代表へ選出されました。しかし、残念ながら代表では、あまりチャンスに恵まれなかったのです。代表でのデビュー戦は、 1979年バイーア州選抜との親善試合で、1−1の引き分けでした。彼は、黒人を含む多くの人達に代表への希望を与えました。2度目の代表選出は1982年でした。でも結局、3月21日当時の西ドイツ戦で1―0で勝利した試合が、代表での歴史にピリオドを打つ最後の試合となりました。
右のミッドフィルダー、そしてアポイアドールでもあったアヂーリオの、中盤から攻撃へかけての参加能力を考慮すれば、左ウィングでも十分プレーをしたことでしょう。フラメンゴを去った 1986年後には、エクアドル、ペルー、ドイツなど世界各国の数クラブに在籍しました。最後は、リオ・デ・ジャネイロ州のフリブルゲンセでの、 2ndディビジョン優勝を成し遂げた後、引退を告げました。そして彼は、寂しさを感じながら現役を退きました!
そして現在、多くの仲間と共に、指導者としてサッカー界に携わっています。アラブ・サッカーで短期活動後、7年間に亘りCFZ do Rioの下部組織を指導し、数多くのタイトルを奪取しました。そして、友人が創設したプロチーム監督としても指揮を執りました。2003年にはフラメンゴへ移り、ジュヴェニール・カテゴリーで2連覇を達成しています。



