経歴
レアンドロ、本名ジョゼー・レアンドロ・ソウザ・フェレイラは、フラメンゴ史上偉大なる選手の一人であり、ブラジルサッカー史に於いてもベスト3に入る右サイドバックの選手です。独自なスタイルの持主でもあり知性的で、テクニカルで機敏であり、攻守についても大変有能な選手でした。14年間の現役生活をフラメンゴに献身した彼は、フラメンゴの黄金時代の偉大なる選手としてその名を世に知らしめたのです。
レアンドロは、リオ・デ・ジャネイロ州の海岸線沿いの町カーボ・フリオで生まれ、1976年にフラメンゴに入団しました。その入団する以前から、フラメンゴのサポーターとして試合に足を運んでいました。そして、1979年から、彼のフラメンゴでの右サイドバックとしての歴史がスタートしたのです。初年度は、様々なポジションをこなしていました。トニーニョ・バイアーノ選手とのポジション争いもありました。そしてレアンドロは19試合に出場し1得点でシーズンを終えました。実際にフラメンゴは、マルチプレイヤーなサイドバックとしての彼の貢献によってリオ・デ・ジャネイロ州大会で2度に及び優勝をしたのです。
1980年、レアンドロは険しいレギュラー争いの中、70試合中、12試合に出場1得点という成績でした。この年は、フラメンゴ史上で数々のタイトル制覇へ向けて最大なる飛躍の年となった。
レアンドロは1981年にはレギュラーの座を不動なものとし、リベルタドーレス杯、トヨタカップ優勝のタイトル制覇へ貢献しました。そしてこの年、彼は56試合に出場して2得点を決めました。
彼はフラメンゴの1982、1983、1987年の3回のブラジル全国選手権優勝、その他のタイトル制覇に貢献する偉大な選手となりました。しかし湾曲した脚が彼のサッカー人生を苦しめる結果ともなったのです。レアンドロは膝に度重なる障害に見舞われ、24歳にして丸で64歳のような関節炎を患っていました。サイドバックのポジションを断念して、センターバックへ転向しました。マルチプレーヤーな彼のタレント性を再確認させられるかのように、このポジションでも成功を収めました。
レアンドロがフラメンゴのユニフォームを着ての忘れられぬ数々のプレーの一つは、1985年の対フルミネンセ戦です。この時の試合の決勝点となった、後半42分に放ったペナルティーエリア外からの弾丸シュートでした。レアンドロ自身、今日に至っても語らずにはいられないプレーだと断言しております。レアンドロに関するスーパープレー話は数知れません。GKのハウー・プラスマンは、レアンドロがインターセプトをしないようにゴールキックを爪先で思いっきり蹴った経緯を語っていました。でも、レアンドロは胸でボールをトラップしたのみでは事足りず、直後に敵を2人ドリブルで交わして自分で攻め込みゴールを決め大声で叫んだのです。
残念ながら、ブラジル代表でも怪我で悩まされる事が多くありました。1982年にはワールドカップに出場し、ブラジル代表では27試合02得点という実績で終えたのです。そして、1986年ワールドカップでは、テレー・サンターナ監督との仲違い後出場を断念し、ブラジル代表からは姿を消してしまいました。
そしてサッカー選手としても、1988年にフラメンゴでの411試合出場の実績を残し、現役に早熟なピリオドを打ちました。彼は、合計18得点を記録して、天才的な印象とドリブルの数々をサポーターの記憶に刻んでピッチを去ったのです。そして、1997年に一度ジュニオールと共にフラメンゴでテクニカルスタッフとして活動し、その2年後にはソクラテス監督率いるカーボフリエンセのコーディネーターに就任しました。でも、その後は完全にサッカー界から姿を消しました。現在では、カーボ・フリオの町で「Pousada do Leandro」と言う名のペンション経営に専念しております。



