築田 純/アフロスポーツ●撮影 photo by Jun Tsukida/AFLO SPORT
第86号(2007年9月12日)【バドミントン】日本男子史上初の快挙! 坂本・池田組、銅メダル獲得
世界選手権で4年ぶりの銅メダル獲得した、オグ・シオ。彼女たちの凱旋試合になる、9月13日からのジャパン・オープン(東京体育館)は、取材申請が殺到してバドミントン協会もアタフタしているようだ。だが、世界選手権では彼女たち以上の大殊勲をあげた選手もいるのだ。
「ベスト4へいっても『オグ・シオら、準決勝へ進出』なんだからな……」
と、マレーシアの地でも苦笑していた男子ダブルスの坂本修一・池田信太郎組だ。彼らの銅メダル獲得は、何と日本男子史上初。しかもメダル獲得を決めた試合は、世界ランキング2位で06年アジア大会王者。地元マレーシア期待のクー・ケンキット&タン・ブンヒョン組を撃破というのだから価値は高い。
この大会、第16シードのふたりは、3回戦で第7シードのインドネシア組を、フルセットの熱戦で破って準々決勝に進出した。地元新聞は、母国のエースペアに「油断はできない」という見解を与えていた。
「相手の方が格上で負けられないから、逆にプレッシャーがあるんですよ。準々決勝のインドネシア組も、僕たちには負けるはずがないという油断があっただろうし。準決勝のマレーシア組も、そういうのがあったと思うんです。逆にそういうのが僕たちにとってチャンスでもあるんですね。相手が油断から入ってくれると、その隙をつけるから」(池田)
試合の流れは、隙をついた日本組が先手を取る形になった。5対6から4連続ポイントをとって逆転すると、その後も3〜4連続ポイントを奪って21対13で1ゲームを先取した。だが、冷静な読みもあった。1ゲーム目は風下のコート。ネットを挟んでドライブを打ち合う速い展開を得意とする日本にとっては、逆風で速い球を打てなくなるコートだった。だから、そのゲームは取られても仕方がないと思っていた。2ゲーム目に入れば速い球を打てるからチャンスが生まれてくる。そこで追いつけば、途中でコートチェンジをするファイナルゲームも、後半は速い方のコートで戦えるからチャンスがあると考えていた。
それが相手のミスでセット先取。「ひょっとしたら2−0の勝利もある」という気持ちにもなった。
そんな思い通りに、2ゲームも12対7までリードした。
「それまでは向こうのドライブとか前に落としてくる攻めが中心だったけど、そこから大きな展開に変えてきたんです。それでレシーブも安定して、僕たちも攻めきれないようになってしまって、流れが変わって取られてしまいました」(坂本)
会場は、約1万人の観客で埋まっていた。第2ゲームの途中まで、地元ペアのミスの多いゲームに沈黙していた観客も、攻勢に出ると一気にヒートアップした。ふたりにとってはまさに、目の前の相手だけでなく観客までをも敵にした戦いになったのだ。
ファイナルゲームは序盤のポイントの取り合いから、マレーシア組が一歩抜け出し、前半を11対8で折り返した。坂本・池田組にとっては、前日の試合からの6ゲームで、初めて先手を取られての折り返しとなったのだ。だがそこからの粘りは見事だった。途中14対17までリードされたが、4連続ポイントで逆転する。
「2ゲーム目までは僕の方がスマッシュが多かったと思うんです。それで疲れてしまっていたから、ファイナルの後半は坂本さんに多めに打ってもらおうということで切り換えたんです。それが良かったですね」(池田)
普段は寡黙な坂本が、試合中に気合を入れるために大きな声を上げたという。「もしかしたら、世界選手権は最後になるかもしれない。だからこそ何とかメダルを獲りたい」という思いが27歳の坂本にはあった。そのチャンスを目の前にして、自らを奮い立たせたのだ。池田はその声を聞いて「アッ、坂本さんが叫んでる」と驚いたと笑う。
その後の展開は大歓声が止むことはなかった。互いに1ポイントずつ取り合うシーソーゲームで、20対20以降は“ジュース”の繰り返し。22対23と相手にマッチポイントを握られたが、そこからは奇跡的な粘りで3ポイント連取して、観客席を沈黙させた。
「あそこまでいくと、気持ちの強い方と、失うものがない方が強いのかもしれないですね。これまでは競り負けることも多くて、そういう時には必ずマイナスのイメージが浮かんでたんです。でも今回は、前日も競り合って勝ってたから、いいイメージだけを考えるようにしてたんです」(池田)
「相手を応援する大声援も、逆に気持ちよかったですね。いいプレイには敵も味方も関係なく沸いてくれたし。全部の観客が僕たちのプレイを見てくれていると思うと、逆にうれしくなりました」(坂本)
ふたりの、チャレンジャーに徹する気持ちが勝利を呼び込んだのだ。この大会の前に、池田が手首の骨挫傷でラケットを振れなくなる危機があったことも、彼らの心の中に程よい“開き直り”の気持を芽生えさせていたともいえる。
これで世界ランキングも12位(9月6日現在)に上げ、五輪レースでも期待が大きく膨らんだ。
「僕はこれまで、ポイントのことが頭から離れず、7月の中国やフィリピンでも、『こいつに勝てば何ポイントだ』と考えてしまって、試合じゃないところに気を遣い過ぎていました。でもこの大会の前には『試合だけに集中しろ』というアドバイスを受け、ドローで誰と当たるようになっても気にせず、前の前の1試合、1試合だけを考えるようにしたんです」(池田)
すると、それを聞いていた坂本は「僕はポイントにはまったく興味がなくて、どの試合で何ポイント取れるということ自体も知らないんです。とにかくこの大会ではメダルを獲りたいと思っていただけで」と、ノンビリした口調でいう。池田も「そうなんですよ、メダル、メダルってことばかり言って、うるさかったんですよ」と苦笑する。
こんなふたりだからこそ、ここまでの大殊勲を挙げられたのかもしれない。
試合後、各国のマスコミが日本チーム関係者を囲み、彼らのプロフィールなどの質問を矢継ぎ早に飛ばしていた。ふたりの気迫溢れるプレイは、日本にはオグ・シオだけではないことを広く知らしめた。
今年からスーパーシリーズに昇格したジャパンオープンで、世界選手権で見せた戦いを再現すること。彼らがオグ・シオに負けないヒーローに変身するためには、それが絶対条件になる。






