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松瀬 学●文 text by Manabu Matsuse
藤田孝夫●撮影 photo by Takao Fujita

第77号(2007年5月2日)【柔道】崖っぷち康生。復活へ、試練続く〜全日本柔道選手権

哀しい笑いだった。

4月29日。日本武道館の全日本柔道選手権。1−2の微妙な旗判定で敗れると、井上康生は「えっ」と小さく声を出した。

満員観客のどよめきの中、畳の上で苦笑いをつくる。判定へのレジスタンスに見えた。

「いや、判定に不満はありません。負けちゃったな、という笑いです」

参加選手中、最多の10度目の出場だった。大ケガを乗り越え、3年ぶりの武道館である。開会式のとき、場内が一番沸いたのが「井上康生」とアナウンスされたときだった。

柔道を愛する人々の多くはエースの復活ロードを応援する。試合の際の拍手もなぜか、温かかった。

緒戦の鈴木龍戦から、組み手争いで苦しみながら勝ち上がる。準々決勝では90kg級の世界王者、泉浩に寝技で一本勝ちした。しかし準決勝では前回王者のホープ、石井慧に屈した。攻め切れなかった。

復活Vはならなかった。実績で世界選手権(9月13日〜16日/ブラジル)の代表に選ばれたけれど、もどかしさが残る。

康生は漏らした。
「何も自分の柔道ができなかったなという思いがあります。もっと気持ちを前面に出していい試合をしたかった。すごく心残りがあります……」

どうしたのだ。勝負師として一番大切なハートが揺らいでいる。自信がないのか、かつての闘志、覇気がみえないのだ。

専属コーチの父、明さんは手厳しかった。
「ふ抜けです。勝負に挑む表情がまったく見られない。みんな自分で這い上がっていくしかないのに……。残念です」

そう康生自身にはもう後がない。崖っぷちにいるのだ。北京五輪への期待が大きい分、歯がゆさが募るのだ。

栄光と挫折を知る。シドニー五輪で金メダルを獲りながら、アテネ五輪では惨敗に終わる。その後、右胸の重傷や長兄の急死という悲劇に見舞われた。柔道も崩れた。

60歳の父と二人三脚で再チャレンジが始まった。階級を100kg超級に上げた。昨年11月の講道館杯を制し、今年2月のフランス国際でも優勝する。その3回戦では元世界王者のアレクサンドル・ミハイリン(ロシア)を圧倒した。康生復活かと思った。

でも4月8日の選抜体重別では得意の内股が決まらず、準決勝で高井洋平に敗れた。「集中しきれていない」とぼやいたものだ。気持ちゆえか、技術ゆえか、重量級用に改良に取り組んでいる内股が決まらない。

この全日本選手権でも内股は不発だった。迷いは。28歳の康生は言う。
「迷いというのはありませんけど、まだ完成されていない部分がありました。そのあたりがうまく噛み合わない。でもどこかで変えていかないと前に進めない」

内股しかり、組み手しかり、である。新たに取り組む内股とは、自分の中心をずらし、相手を側面に引き出して、ごろんと転がす。懐に入って豪快に跳ね上げるかつての内股とはちょっと違う。

だから、組み手にもこだわる。けんか四つとなる石井戦。右のつり手を上から殺され、左の引き手を取れなかった。最後まで左手で袖を取ろうとし、脇や胸を取る引き手で技に入ることをためらった。

「引き手が不十分な状態を恐れている自分がいた。本当の自信が身についてなかったからかな、というのがあります」

実は左ひじの靭帯のケガなどから調整不足もあったようだ。でもケガ云々ではなく、敗因は闘争心にあるだろう。

「このままではダメだな、まったくダメだな、という思いがあります。ここでひと呼吸おいて、次に向けて頑張りたいと思います」

次とは、最重量級で初めて出場する世界選手権、そして来年の北京五輪である。ライバル鈴木桂治はスランプを脱した。石井に雪辱を果たし、覇権奪回を果たした。今度は井上康生の番である。


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