藤田孝夫●撮影 photo by Takao Fujita
第76号(2007年4月4日)【水泳】北島康介、手応えの金メダル〜世界水泳メルボルン2007
4月1日に閉幕した世界水泳選手権、シンクロを含めてメダル獲得13個という日本チームに、金の彩りを加えたのはやっぱり北島康介だった。
3月30日の男子200m平泳ぎ決勝。北島の疲労はピークに達していた。予選、準決勝、決勝を3種目。彼にとってはこれが、競泳初日から6日間連続9回目のレース。1大会の個人種目でこれだけの数をこなすのは、長い競技生活の中で初めてだった。
平井伯昌コーチはこう言う。
「03年の世界選手権では50mを棄権したんですね。だから今回も、狙う種目を絞ることもちょっと考えたんです。でも、04年のアテネ五輪までの過程と今回は違うなと思って……。出られるなら全部出て、タフなレースをして、その中でハンセンと勝負だと思ったから。例え負けても、次の年の肥やしになるようなレースをさせたいと思ったんです」
優勝を果たして立った表彰台。北島は「立ちくらみをしたみたいに真っ直ぐ立っていられないような感じで、視点もうまく合わなくて。せっかくのうれしい場なのに、頭の中が真っ白になっていましたよ」と苦笑するほど疲労困憊だった。
それに加え、ライバルのブレンダン・ハンセン(米)の欠場で、獲って当たり前というプレッシャーもあった。
日本選手権の惨敗から始まったシーズンにもかかわらず、北島の世界選手権は、競泳初日の100m予選でいきなり2年ぶりの59秒台を出すレースから始まった。翌日の決勝では前半の50mは、ハンセンの27秒67に対し、自身初の27秒台である27秒79で入る積極的な泳ぎをみせた。
結果は59秒96でハンセンに0秒16及ばない2位だったが、「前半でおいていかれたら勝負にならない」と、勝負に出ての結果だった。これまでの北島が見せたことのないレースパターンでハンセンを驚かせ、59秒13の世界記録を持つ彼を59秒台後半で優勝を争う戦いによび寄せたのだ。
続く50mは、100mの前半の入りにも遠く及ばない28秒台の記録で5位に終わった。だが平井は、100mと50mを強めの調整練習のようにして、最後の200mでハンセンと勝負させる腹積もりだった。
だが、ハンセンは体調不良を理由に200mを欠場したのだ。
「本当に残念でしたね。この大会は彼と一緒に泳ぐのを、すごい楽しみにしてたんです。100mでは負けたけど、僕とすれば勝った負けたということではなく、出てきてほしかったというのがすごく強くて。彼の状態が本当にひどいのならしかたないけど、去年のパンパシは調子が悪くても僕は出てたし。その意味ではすごい残念でしたね」
決勝の日、ハンセンはメドレーリレー出場に向けて練習をしていたという。勘繰ってしまえばハンセンは、100mの北島の泳ぎを見て「200mでは負けてしまうかもしれない」と思い、対決を回避したのかもしれない。その真意はわからないが……。
「ハンセンと泳ぐと、肉体だけでなく神経もものすごく疲れるんです。本当にもう、消耗戦ですからね。その意味で言うと今回は、その戦いに勝ったということです」
平井はこう言って笑った。その余裕の裏には、今の泳ぎは200m向きだという思いがあったからだ。北島も準決勝では、それを実証するような泳ぎをみせた。記録こそ2分10秒30だったが、150mの通過は03年世界選手権で世界記録(当時)を出した時より0秒64速い1分35秒11。疲れもあって最後の50mをあげなかっただけだ。
「今まで理想の泳ぎとよく話していた02年アジア大会の泳ぎを、やっと超えたと思うんです。この泳ぎなら2分8秒の後半から9秒頭の記録は出ますね」
と自信を持っていた。だがその好調さも逆に、北島にとってはプレッシャーになった。「彼がいないからラッキーな金だとは言われたくない」という思いがあった。なら何に目標を切り換えるかとなれば記録しかない。戦いを回避したハンセンに対し、余計にプレッシャーを与えるような記録を出したいと思ったのだ。だがそれは力みにもつながった。
「飛び込んだ瞬間に力んでると思いましたね。それに疲れもあって、最初の100mをターンしたとたんにきつく感じて。それでうまく後半をあげられなかった」
それでもゴールタイムは2分09秒80。目標にしていた自己記録更新には0秒38及ばなかったが、04年以来の2分9秒台だった。
「やっぱりここは世界記録や日本記録に挑戦する試合だったと思うし、それを達成できなかったのはすごく悔しいですね。でも、優勝ということを考えたらこれからへのすごい自信になるし、来年に向けてやってやろうというレースになったと思います。それに、絶対に自己新は出せるという、強い手応えも感じましたから」
200mの優勝は、日本チームの雰囲気を盛り上げた以上に、北島にとっても価値のあるものだったといえる。
大会の最終日、予選でアメリカが失格になった男子メドレーリレーでは、日本チームが銀メダルを獲得した。ラスト50mを過ぎてから日本をかわして優勝したオーストラリアとはわずか0秒23差と惜しい2位。選手たちも予選のラップタイムを1秒以上上回ったバタフライの山本貴司以外は、「自分のラップがもう少し良かったら金メダルを取れた」と反省する。アメリカの失格という幸運で転がり込んできた結果だが、レースをリードしての優勝争いをしたことで、北京へ向けての選手たちの意識も確実に上がってきた。
だが大会全体を振り返ってみれば、メダルを獲ったのはリレー以外では北島と自由形の柴田亜衣と背泳ぎの中村礼子がそれぞれ2個ずつと、04年アテネ五輪メダリストのみという結果になった。前回の05年大会で、休養中の山本の代わりに松田丈志が銀メダルを獲った200mバタフライは、松田と柴田隆一が挑戦したがメダルに届かなかった。また、200m平泳ぎで銅メダルを獲得した今村元気は代表にすら選ばれず、次ぎに続く存在が出てきていないという課題が露呈した大会でもあった。
日本チームの上野広治監督はこう総括した。「五輪翌年の世界選手権と違い、五輪前年の今回は甘くないと予想していたが、その通りの結果といえます。世界新が15も出てるのに日本新は10、これでは戦えません。正直、北京まではある程度見えていても、その次のロンドンとなるとまったく見えていないような状態ですね。これからは強化合宿での強化や大会参加を増やすなどの対策をとっていく必要があると思います」
ベテラン頼りからの脱却もまた、今後の重要な課題になってくる。






