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折山淑美●文 text by Toshimi Oriyama
小糸恵介/フォート・キシモト●撮影 photo by Keisuke Koito/PHOTO KISHIMOTO
第70号(2006年11月21日)
【柔道】井上康生が復活への優勝〜柔道講道館杯

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 東京で高橋尚子が冷たい雨に打たれて失速。ライバルの土佐礼子に敗れるどころか、3位に落ちる大惨敗を喫した日曜日、千葉ポートアリーナではもうひとりのシドニー五輪金メダリストが、復活への優勝を遂げていた。

 11月19日に行なわれた柔道講道館杯は井上康生にとって、優勝しながらも右大胸筋腱断裂の重症を負った05年1月の嘉納杯国際大会以来、1年10カ月ぶりの個人戦出場だった。

「6月の全日本実業団団体戦とはまったく違って緊張感がありましたね。約2年ぶりの個人戦だし、来年の世界選手権へ向けてのスタートである講道館杯という独特の雰囲気もありますし。ここでコケてしまったら、自分に何が残るんだろうっていう気持ちもありました」

 緊張と不安は康生から自分の柔道を奪い取った。最初の試合、池田広樹との2回戦は果敢に攻めながらも相手が受けた指導だけで勝ち抜けたもの。次の3回戦、紺野大輔との対戦は内股から大内刈りの連絡技で有効を取り、そのまま上四方固めで仕留めたが、4回戦の立山広喜戦は内股で取った有効での優勢勝ち。準決勝の片渕慎弥には、内股で技ありを取りながらも攻めきれずに終わった。

 自分から動いている時は安心して見ていられるものの、動きが止まった時はヒヤヒヤ。指導する父・明さんも言う。

「本人も動かなければいけないと思ってるのに、何ででしょうかね。『動け!』と声を掛けてるのにどうしようもない。『今、技を掛けられたら飛んでしまうぞ!』っていう時が何度もありましたから。多分、そこで動いたら体が浮いてしまうと思ったんでしょうね。そんなのは外せば簡単だけど、不安感の方が先立ってしまったというか」

 決勝は同じ綜合警備保障に所属する生田秀和。足技を警戒して重心を前目にした隙を見逃さずに出した康生の内股で、呆気なく勝負は決した。明さんは「生田選手は練習でも康生をよく見てるから、あそこで足技が来ると思ったんでしょうね。それで内股が鮮やかに決まる結果になった」と苦笑する。

 優勝したとはいえ、康生の表情は晴れなかった。

「良かったのは優勝できたという結果だけですよね。あとは見てもわかるように内股だけの柔道になってたし。練習では足技を出したりして相手を崩す動きができてたのに、試合ではなぜかそれがまったく出せなかった。それを考えると悔しさが残りますね。優勝はしましたが、20点もつけられないような内容でした」

 アテネ五輪後で階級を上げたばかりの嘉納杯は、いわば急仕上げで臨んだ大会だった。だが今回はジックリと重量級対策にも取り組んで臨んだ試合だった。ここが本当のスタートだというプレッシャーは、さすが康生でも簡単に跳ね返すことができないほどのものだったのだろう。

「途中で父親から、『ここまで自分の柔道をできないのなら、勝って終わらないと何の意味もない』と言われたんですよ。自分の柔道はできないわ、負けたわじゃどうしようもないですからね。本当に一からのスタートだな、というのを改めて感じましたね」

 そんな状態でも収穫だと思えたのは、故障した所が試合中に何の不安も感じさせなかったことだ。練習では違和感がなくなっていても、試合でどうなるかという不安はあった。変なだるさが出たり、違和感や痛みを感じることがあるのではないかと。だが5試合フルに戦ってみて、不安になることはなかった。さらにこれまでの重量級との試合は無差別での戦いだった。その中には必ず100kg級やそれ以下の階級の選手がいたが、今回はすべて重量級の選手のみ。115kgの池田から145kgの立山までの5選手を相手にして戦い抜けたことは、これから100kg超級で戦っていく上で大きな自信となった。

「重量級の選手と戦うといった時に、お前が一番得意な技は何かとなったら、内股なんですね。じゃあ、その内股を活かすにはどうすればといえば、足技などで崩して効果的に内股を出すしかない。そう確認して練習したのに、それがまったく出ないんですからね(苦笑)。決勝の生田選手には、チョンチョンと出しただけの足技があったから内股が決まったんですよ。だからそれが、相手をガクッとさせるまでの威力があれば、もっと効果的になるんです。だからこれからは徹底的に足技の練習をやらなくてはいけませんね」

 そう言う明さんだが、今回の優勝で康生は大きな成果も得たともいう。自分の柔道がまったくできないという不安感の中で優勝できたことは、精神面でも貴重な経験になったのではないかと。ここで勝って来年4月の世界選手権代表選考会である体重別選手権に出るのと、5位以内という条件をギリギリにクリアして出るのではまったく違う。アジア大会の代表の棟田康幸と高井洋平はこの大会に出場していない。

 康生も言う。
「あのふたりが出ていないこの大会は、3位以下を決める大会ということですからね。これでやっと、棟田選手、高井選手に次ぐ3番目の位置に来られたということですよ。次の福岡でふたりに挑戦するチャンスをもらえたのだから、彼らには是非アジア大会で活躍してきてほしいですね」

 やっといつもの笑顔を見せた。
「でもひとつ感じたのは、重量級の選手は練習と試合では全然違うということですね。彼らは、練習で手を抜いているっていうか、妥協する部分が多いんだなって。練習で投げることができたから納得してたけど、試合になったら全然。受けや力がまったく違いましたよ。だからこれからの練習では、そういうことも意識していかないと(笑)」

 不満だらけの優勝ではあっても、100kg超級の選手となった康生にとっては、収穫の多い大会だったといえる。

 康生の新たな世界一への夢は、今やっと再スタートを切った。

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