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折山淑美●文 text by Toshimi Oriyama
藤田孝夫●写真 photo by Takao Fujita
第63号(2006年8月24日)
【水泳】ハイレベルな女子背泳ぎの争い〜パンパシフィック水泳選手権

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 8月19日の競泳パンパシフィック選手権女子200m背泳ぎは、意地がぶつかり合った戦いだった。04年アテネ五輪と05年世界選手権銅メダリストの中村礼子(東京SC)。今年4月の日本選手権では自己記録を1秒80も更新し、中村が持っていた日本記録を大幅に塗り替える2分09秒15で優勝した伊藤華英(セントラルスポーツ)。このふたりにすでに来年3月の世界選手権代表を決められながらも、日本選手権後の九州インカレで日本3人目の2分10秒突破となる2分09秒78をマークして北京五輪の代表争いに加わってきた五十嵐貴美(鹿屋体大)。世界へ出れば即メダル候補となる力を持つ3選手の激突となった。

 この大会は特別ルールで、優勝を争うA決勝へは各国最大2名しか進出できない。そのために午前中の予選から、プライドを賭けた真剣勝負になるのだ。

 予選の第3組で先手を取ったのは五十嵐だった。前半の100mの入りは自身初の2秒台、という1分02秒22のハイペースで飛ばした中村に食らいつき、ゴール前で逆転。そのタイムは2分10秒02の大会新。昨年の世界選手権と比較すれば、中村を0秒39上回って3位に入るタイム。「2分10秒前半は絶対に必要だと思っていたのでホッとしました。ベストを出した時の100m通過は1分4秒台だったけど、今回は1分03秒52だったのでビックリしました」と快心の笑みを浮かべた。

 前半の飛ばし過ぎがたたって敗れた中村のタイムは2分10秒14。普通なら大満足の記録だが2位は2位。真っ青な表情になって次の組みの伊藤のレースを見守った。

 第4組の伊藤、入りの50mは日本新をマークした日本選手権を上回る30秒47。だが前に出されたタイムを意識した硬い泳ぎになってしまい、徐々に日本選手権のラップから遅れ始めゴールタイムは2分10秒76。その瞬間に中村の顔には安堵の笑みが浮かび、伊藤は唇を噛みしめる。2日前の大会初日、100mで世界記録保持者コフリン(米)を破って国際大会初優勝を達成し、力強く“2冠達成”を誓っていた伊藤は、4位になった昨年の世界選手権の記録を上回りながらも、優勝を争う場にすら立てない結果になった。

 A決勝進出を決めた中村は言う。
「残って良かったですよ! とにかく前半は1分2秒台で入りたかったので……。最後はへばってしまってタッチが流れてしまったから、『またタッチで負けてしまったら……』ってドキドキしてたんです」

 2日前の100mで中村は、終盤に追い込んでトップに立ちながらも、ゴール板へタッチをする手を真っ直ぐ伸ばせず、伊藤とは0秒23差の3位と、最後の詰めの甘さを見せていた。そのため前夜と当日の朝に失敗したレースのゴールシーンのビデオを見直し、同じ失敗を繰り返さないようにと決意してたのだ。 日本選手権で伊藤に完敗し、そのうえ日本記録まで破られてしまった。さらに五十嵐にもベスト記録を抜かれて3番手に落ちてしまった現実。世界大会メダリストのプライドをここで取り戻そうと臨んだ最初のレースで、勝てる試合を落としてしまい、悔しさも倍増していた。だからこそ予選で自身初の1分2秒台での入りを見せたのだ。

「これまでずっと本人から『1分2秒台で入ります』って言いだしても全然やったことがないから、『嘘つき!』言い返していたんですよ(笑)。それがいきなり、2秒台でも前半の2秒22ですからね」

 指導する平井伯昌コーチが呆れ顔になるほどの意気込みを、この日の中村は見せていた。だが結果的に、その意気込みと超積極的な冒険が彼女に幸いしたといえる。2秒台で入って後半を持たせるためにはどの程度のタイムが必要か、というシミュレーションができたからだ。

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 午後のA決勝、中村は落ち着いて1分02秒81で100mを折り返した。その後も泳ぎは崩れることなく、2位以下を引き離していく。終盤になって05年世界選手権2位のマーガレット・ホエルザー(米)に若干追い詰められるが、真っ直ぐに手を伸ばしてトップでゴール板を叩いた。タイムは2分08秒86。自己記録を1秒02更新してメダリストのプライドと日本記録を取り戻した。

「最後はホエルザー選手が見えてきたので、『ここはタッチの練習の成果を見せなきゃ』と思って最後まで頑張りました(笑)。8秒台のタイムはすごくうれしいですね。予選の積極的なレースが決勝へつながったと思います。去年は世界選手権で銅メダルを取っても、自己記録が出せなくてモヤモヤしてたけど、考えてみればどこかで甘えていたのかもしれないと思います。でも日本選手権ではガンといい刺激をもらいましたから。伊藤さんも力のある選手なので、もっともっと頑張って世界記録に近づけていかないとダメですね」

 中村は国際大会初の金メダルを喜びながらも次の戦いへ目を向けるが、彼女を力づけたもうひとつの要因は、初日の女子200mバタフライで、2歳年上の中西悠子が自己記録を1秒5近く更新する2分06秒52の日本新を出したことだった。世界選手権と五輪の銅メダリストで、25歳の年齢。そんな選手が自己記録を大幅に更新するのは容易なことではない。それを今年からフォーム改造に取り組んだ彼女が、アッサリやってのけたからだ。記者の前で質問に応えている中村に、中西は飛びついてきて祝福を送っていた。

 一方、五十嵐は予選トップ通過で硬くなり、タイムを落とす2分10秒30で3位にとどまった。4月の日本選手権は自己ベストの2分11秒27で3位。その後一気に2分09秒78まで記録を上げたが、直接対決ではその勢いを示せなかった。指導する田中孝夫コーチはこう言う。「A決勝に残って自信をつけさせたかったから、予選を決勝のつもりで勝負にいけと指示しました。でも体がもっと動くはずの決勝は硬くなって50、100mとも予選の入りより悪かったですからね。彼女の場合、決定的なのはスピード不足です。僕の持論では100mの2倍+4秒が200mで出せるタイムだと思っていたが、最近は+6秒だと思えてきたんです。だから、1分2秒の記録を1分1秒にしないと。今後の1年半はその辺りを課題にして取り組みます」

 だが、これで彼女たちの戦いが終わったわけではなかった。A決勝の後に行なわれたB決勝では、伊藤が自己記録に0秒06まで迫る2分09秒22でゴールして実力をアピールした。

「2番目の記録だったからちょっと残念ですよね。A決勝のタイムを上回りたかったし、一緒に泳げば絶対勝てるという自信もあったんですけど。でも、天と地を一気に経験するなんて私らしいなっていう感じもします。本当に私の場合は上か下だけで真ん中がないから。いつもなら予選でダメだったら次のレースが嫌だとか、泳ぎたくないと思っていたけど、今回はいろんな人の応援で気持ちを切り換えられましたから。これも精神的に成長した部分だと思いますね。でもこの悔しさで、目標にしていた世界選手権や五輪のメダルも、金しかないと思えるようになりましたから。3月の世界選手権も北京も、金しか狙わないつもりで練習しようと覚悟も決まったので」
 予選の後に流した涙を吹き飛ばした伊藤は、笑顔で明るく話していた。

 女子200m背泳ぎの世界記録は2分06秒62だ。だがそれはエゲルゼキ(ハンガリー)の1991年の記録。04年アテネ五輪の優勝タイムは2分09秒19で、05年世界選手権は2分08秒62。それから考えれば北京五輪は2分08秒前後か。中村と伊藤はもう2分7秒台も視野に入れている。そして五十嵐も、2分8秒0を目標にした強化を始めようとしている。

 中村とともに平泳ぎの北島康介を指導する平井はこう言って苦笑する。
「88年ソウル五輪優勝の鈴木大地を育てた鈴木陽二先生(伊藤華英を指導)と、柴田亜衣を育てた田中先生。金メダリストを生んだ3人のコーチが何で女子背泳ぎに集まってきちゃったんですかね。でも互いに切磋琢磨して2年間気持ちを抜かないで、日本代表になれば必ずメダルは取れるという所までレベルを引き上げられればと、鈴木先生と話をしてたんです」

 まさに金メダルコーチの代理戦争の様相も兼ねてきた女子背泳ぎの戦い。その決着はなかなかつきそうにない。

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