竹内秀信●撮影 photo by Hidenobu Takeuchi
第58号(2007年6月15日)【MotoGP】地元開催での選手人気〜小山知良の初優勝
イタリアGPからカタルーニャGPと続いたこの2連戦は、毎年、シーズン前半最大の盛り上がりを見せる。イタリアGPはスーパースター、バレンティーノ・ロッシのホームグランプリ、そして、カタルーニャGPはモータースポーツ大人気のスペインで開催されているのだから、大盛況になるのも当然の話だ。
今年のイタリアGPは12万6854人の観客を動員した。ポールポジションを獲得したのは、開幕以来圧倒的な速さを見せるドゥカティのケーシー・ストーナー。
チームの母体、ドゥカティ・コルセはイタリアGPの開催地ムジェロサーキットからほど近いボローニャに本拠を置いており、こちらも超がつくほどの地元レースだ。それだけにサーキットの一角には毎年、ドゥカティファンの専用シートが用意され、熱狂的な“ドゥカティスティ”で真っ赤に染め上げられる。
決勝レースは、ロッシとダニ・ペドロサの新旧天才一騎打ちとなった。ロッシは、レース終盤にペドロサを引き離して王道の完勝パターンに持ち込み、ムジェロ6年連続優勝を達成した。まさに「イタリア人のイタリア人によるイタリア人のためのレース」は、今年も完璧な形で幕を閉じた。
その翌週にはペドロサのホームグランプリ、カタルーニャGPが開催された。ペドロサの出身地サバデルは、サーキットから車で30分少々の距離に位置する、バルセロナ郊外の小さな街だ。それだけに、もともとスペイン全体で人気の高いペドロサ人気は、地元ではいっそう凄まじいものがある。ロッシの人気が世界中どこでも圧倒的なのは当然としても、ここでのペドロサファンの熱狂ぶりは、ロッシと肩を並べるほどの勢いがある。
グッズ販売の専有面積も互角で、声援の大きさもロッシに劣らない。スペインの某新聞が行なった人気調査によると、ペドロサは二輪部門でロッシを軽く押さえ込んで堂々の1位。一般有名人、あるいは全スポーツ選手というカテゴリーでも、人気と知名度は常に上位にランクインしている。それだけの大人気が後押しし、今年の観客動員数は20万1970人に達した。
ペドロサは今季まだ優勝がないだけに、地元で初優勝の期待も高まったが、予選を終えてPPはロッシ、ペドロサは3番グリッド。ランキングトップを走るストーナーは2列目4番手。決勝レースでもこの三台が序盤から熾烈なバトルを繰り広げたが、最後はストーナー、ロッシ、ペドロサの順でチェッカー。3位までが0.390差という僅差の接近戦だった。
ロッシファン、ペドロサファンともに、悔しさの残る展開だったかもしれないが、最後まで息つく暇のない激しいレース展開には充分満足して家路についたにちがいない。
それにしても、イタリア&カタルーニャという大盛り上がりの2連戦を見て、やっぱり地元選手が活躍すると大いに盛り上がるなあ、というごく当たり前のことを、いつも以上にあらためて強く感じた。
イタリア人はイタリアの選手を、スペイン人はスペインの選手を応援する。狭隘なナショナリズムや排他的な民族主義ではなく、それは単純に親近感の問題だ。たとえば、レースの翌日、フランスのスポーツ新聞<L'EQUIPE>の早版では、負傷して腫れた膝の状態にもかかわらず5位に入賞したランディ・ド・ピュニエを写真入りで大きく扱って、その健闘を讃えていた。250ccクラスで優勝したホルヘ・ロレンソも、スペインの新聞やニュースが大きく取り上げている。
その意味では、125ccクラスの大混戦を制して優勝を遂げた小山知良(KTM)のニュースが日本国内でいったいどれだけ流通したのか、ということを考えると、やや複雑な気持ちにならざるをえない。
優勝した喜びが1/2、報道が行き届かない口惜しさが1/4、そしてその現実を動かすには至らない忸怩たる思いが1/4、といったところか。表彰台の頂点で満面の笑みを浮かべる小山を眺めながら、日本国内での「スポーツとしての二輪ロードレース」のあり方はやはりしっかりと検証される必要があるよなあ、と頭の隅でぼんやり考えていた。
そうはいっても、かのアレン・グットマンでさえ、著書『Japanese Sports』の中では、日本のモーターサイクルを米国西海岸文化の影響という文脈でしか捉えることができていないわけで、そう考えると、口で言うのは簡単だが、実作業は遙かに遠い道のりなのだろう。
とまあ、そんな事情は措いておくとしても、それにしても今回の小山のレースは本当に素晴らしかった。
開幕以来、インジェクション仕様で戦い続けてきたマシンを土曜午前のフリープラクティスからキャブレター仕様に戻した小山は、予選終了後に「昨日は(スロットルを)開けられなかったけど、今日は開けることができたし、コーナーもすごくグリップした」と一気にフィーリングが改善したと話した。
決勝レースでは、序盤からトップグループを構成し、ラスト数ラップで少しずつ前に出ながら最終ラップのバックストレートエンドで先頭に立つと、最終コーナーをきっちりと押さえ込んで真っ先にチェッカーを受けた。
「去年は正直、楽しくないレースが続いたけど、骨折したときでも頑張って参戦し続けたら、自分の力をKTMが評価してくれて、ワークス体制でレースができるようになった。(君が代は)いつか自分が流してやろうと思っていたので、最高の気分ですね。『これだこれだ〜』と思いながら聴いていました。きっと今ごろ、(地元の相模原市)橋本は大騒ぎですよ」
橋本どころか、日本全体が大騒ぎする日を実現させるためにも、自分たちにはやるべきことがきっとまだたくさんある。だが、小山はこのまま活躍を続けて勝利を重ねていけばよい。






