桜井淳雄●撮影 photo by Atsuo Sakurai(BOOZY.CO)
第59号(2007年9月21日)【F1】マクラーレンのスパイ疑惑〜その顛末と真相
7月のイギリスGPで発覚した「マクラーレンのスパイ疑惑」。マクラーレンのチーフデザイナー、マイク・コフランが自宅に数百ページに及ぶフェラーリの機密情報を隠し持っていたことがイギリスの捜査当局の家宅捜索で明らかになりF1界全体を巻き込む大スキャンダルに発展したこの事件。
その公聴会がベルギーGP直前の9月13日、パリのFIA本部で行なわれ、マクラーレンの「有罪」が確定。今シーズンのコンストラクターズ選手権除外とチームに対する罰金1億ドル(約150億円!)という厳しい裁定が下された。
今回、「有罪」の決め手となったのは、FIAの通達でマクラーレンのドライバー3人が提出したEメールの通信記録。パリの公聴会ではフェルナンド・アロンソとテストドライバーのペドロ・デ・ラ・ロサ、そして渦中のコフランらマクラーレンのエンジニアたちが交わしたEメールの内容が「新証拠」として提出され、これまで「フェラーリの機密情報はコフランが個人的に入手したもので、チームの組織的関与やマシンへの技術転用も無い」としてきたマクラーレン・メルセデス側の主張を覆す結果となった。
FIAが公開した資料には、ドライバーとエンジニアの生々しいやり取りがいくつかの具体例と共に紹介されていたが、その内容は確かにショッキングだ。
例えば、今年3月の通信記録ではデ・ラ・ロサが「マイク! 赤いクルマの重量配分を教えてくれないか? 明日シミュレーターでのテストがあるんだ」とコフランに尋ね。その内容をアロンソに連絡。アロンソは「フェラーリの重量配分を聞いて驚いたよ、ホントにその情報は信用できるのかい?」と返信。デ・ラ・ロサが「間違いないよ、何しろフェラーリの元チーフデザイナー、ナイジェル・ステップニーの情報だからね! 開幕戦のオーストラリアGPでライコネンが18周目にピットインするのを教えてくれたのも彼だったんだから!」と応えている。
それ以外にも、フェラーリのブレーキシステムやタイヤに充填するガスの種類などについてアロンソとデ・ラ・ロサのふたりがEメールをやり取りしており、その内容から情報のネタ元がフェラーリのステップニーだということも把握していたこともハッキリと分かるだけに、マクラーレンの側の立場が厳しいのは否めない。
一応「発表された通信内容は事実だが、それでも実際にフェラーリの技術情報がマクラーレンのマシンに利用されたという事実は全くなかった」と反論したものの、これが考慮されることはなく、最終的にはフェラーリ側の主張がほぼ認められる形で「有罪」が決定。
ルイス・ハミルトン、アロンソのふたりがタイトル争いを展開している「ドライバーズ選手権」に関しては「正直に証拠を提出したことを特別に配慮した」として除外を免れたものの、F1を代表する名門チームがこの一件で大きな打撃を受けたことは間違いない。
フェラーリから情報を持ち出したといわれるステップニーとマクラーレン側のコフランという、ふたりの「キーパーソン」の証言が部分的にしか伝えられていないだけに、まだまだ事件の全容ついては分からないことも多いのだが、個人的な印象を問われれば、今回のスパイ疑惑に関してマクラーレンの組織的な関与があったとは思えない。
チーム代表のロン・デニスが言うように、当初はステップニーとコフランとの個人的なつながりの中からフェラーリの機密情報がもたらされたというのが事実なのではないだろうか?
コフランはイギリスのメディアに対して「ステップニーが一方的に渡してきた書類を、エンジニアとしての好奇心から見てしまった」として、その後もステップニーがもたらす情報の魅力にズルズルと嵌っていく様子を生々しく語っているが、ほぼ例外なく「技術オタク」の典型であるF1エンジニアにとって、ライバルチームの技術情報を目の前に出されるという状況は「セクシーな女性が一糸まとわぬ姿で目の前にいる」のと同じようなモノだと思う。沸き起こる好奇心と欲望を理性で押さえ込むのは難しかったに違いない。
だが、そうして彼が手にしてしまった「禁断の果実」の存在を知ったチームがコフランと同じようなレベルでその魅力に魅了されたかといえば、必ずしもそうとは言えないだろう。情報の出元を考えれば、それがいかに「ヤバイ」話であることは会社組織として理解しなければならいし、マクラーレンがパートナーとして「メルセデス・ベンツ」という大メーカーを背負っているコトを考えれば、1エンジニアと同じように「セクシーギャル」にのめりこむワケには行かなかったに違いない。
ただし、この機密情報からフェラーリがレギュレーション違反ギリギリの行為を行なっていることを知ったマクラーレンは、シーズン序盤にその疑念をFIAへと指摘しており、フェラーリに対する処罰こそなかったものの、その後、レギュレーションの運用がより厳格になるという出来事があった。
今になって考えればこれがフェラーリに「情報漏えい」を意識させ、その犯人探しの過程でスパイ疑惑発覚のきっかけと考えることもできるかもしれない。
ただし、誤解を恐れずにあえて言えば、F1の世界で「スパイ行為」なんて日常茶飯事なのだと個人的には思っている。今回のように数百ページに及ぶ機密文書がそのまま漏洩することは滅多にないが、ドライバー間のEメールでやり取りされたような「重量配分」やブレーキシステムの概要、タイヤに充填されるガスの種類なんて、エンジニアやメカニックが他チームに移籍すれば簡単に伝わってしまう話だし、F1の世界では頻繁にエンジニアやメカニックの「転職」が行なわれ、人の移動と共に情報もまた流れていくものなのだ。
逆に絶対に他流出させたくない情報については、チーム内でもアクセスできる人間が限られており、その情報管理もしっかりとしたセキュリティで守られているはずである。今回、フェラーリの情報がなぜ、ステップニーによって簡単に持ち出されたのか? その本当の狙いは何だったのか? こうした事実が明確になるまで事件の全容が明らかになったとは言えないが、事件の真相解明そのものよりも、「この一件をいかに自分たちの望む形で利用するか」という点に熱心に見えるFIA、フェラーリ、マクラーレンの3者の動きを見ていると、複雑な「スパイ事件」に振り回されること自体が何だかバカバカしくなってくる。
ハミルトン、アロンソ、ライコネン、マッサ……と4人のドライバーが近年まれに見る接戦を展開している今シーズンのF1GPだが、そんな面白いシーズンが今回の「スパイ騒動」で大きなダメージを受けていることは否めない。
そして、その最大の被害者が熱心なファンであることを、事件の当事者たちはどれだけ理解しているのだろうか? 150億円という常識ハズレな罰金の額が象徴する、こうした彼らの感覚のズレが、F1の将来をとても危うくしている気がしてならない。






