戸村 功臣/アフロスポーツ●撮影 photo by Atsushi Tomura/AFLO SPORT
第52号(2008年2月22日)“不思議な国”の中国〜東アジア選手権
中国は不思議な国だ。
五輪ではアメリカとメダル獲得争いを演じる、 世界で1、2のスポーツ大国ながら、サッカーは弱い。例外中の例外になる。かつての日本のように、サッカーがマイナースポーツなら、理由は分からないではないが、実際はまったくそうではない。サッカーはバリバリの人気スポーツだ。一番人気と言ってもいいほどだ。
中国の国内リーグ(Cリーグ)の試合を見れば一目瞭然。スタンドの盛り上がりはJリーグ以上だ。各都市間の激しい対抗意識をベースに、スタンドは世界でも珍しい、危ないくらいの熱気に包まれている。
両国の事情に詳しい人間は、こう語る。
「たぶんサッカーには、日本人より高い関心があると思いますよ」。
日本人のサッカー好きが、この話を聞くと、「いや、そんなことはないだろう」と反論しそうだが、少なくとも僕には、欧州のサッカーが、日本より簡単に視聴できる中国のテレビ事情がうらやましく映る。ホテルの部屋で、備え付けのテレビにスイッチを入れれば、欧州サッカーはすぐに目に飛び込んでくる。欧州サッカーを対象にしたサッカーくじも、日常的に行なわれている。
そして選手にも「海外組」はしっかりいる。欧州でプレイする選手の数は、日本や韓国といい勝負である。
にもかかわらず、代表チームの成績はサッパリ振るわない。日本や韓国に比べると、1枚も2枚も劣る。一番の原因は、代表サッカーへの関心の低さだと言われる。まずクラブサッカーありきの体質が、代表強化にブレーキを踏んでいるというのだ。
それに地域間の対抗意識が輪を掛ける。それぞれ使用する言語が違う点も、代表強化の足かせになっていた。コミュニケーションが取りにくいという理由から、一昔前まで、各地域の選抜チーム、例えば上海選抜を代表チームとして国際試合に臨ませていたほどなのだ。
『近くの敵は遠くの敵より憎たらしい』という、スペインぽいというか、欧州っぽい体質がある。少なくとも、まず代表チームありきの日本とは、抱えている体質が違うのだ。
東アジア選手権、第2戦。対日本戦のスタンドが、満員にならなかった理由もそのあたりと深い関係にありそうだ。
5万8000人収容の重慶のスタジアムは、半分に満たない入りにとどまった。反日感情というアウェームード一色に染まる中で、試合が行なわれたわけではまったくない。日本では、そういうことになっているらしいが、この程度で大騒ぎしているようでは、真の国際試合は戦えない。逆に、ホーム戦過多、アウェー戦慣れしていない日本サッカー界の特殊性が浮き彫りになる。
それはともかく、試合内容にも中国の不思議さがにじみ出ていた。
18分、日本に先制点を許したものの、前半の中国の戦いは見事だった。 中盤をほぼフラットに並べる文字通りの4−4−2から、ピッチを広く使ったダイナミックな攻撃を繰り広げた。器用さでは日本人選手に劣るが、スケールの大きさでは上回る、その個人能力の長所と、ペトロビッチ監督が採用する戦術と融合した、いいサッカーを見せつけた。失点は単なる事故にしか見えなかった。そのまま進めば、逆転は必至の情勢だった。
ところが、そうはいかないところが中国たる所以だ。
前半のデキは、 後半に入るやすっかり影を潜めてしまう。この試合に負ければ2戦2敗。優勝の目は消えるどころか、最下位の可能性さえ出る。ホスト国の代表にとって、スタンドの声援が逆にプレッシャーとなり、焦りにつながったことは間違いない。
その結果、前半目立った中国人選手の長所は、今度は一転、短所になっていく。反則行為をダイナミックに繰り広げることになってしまったのだ。
北朝鮮の主審が、中国よりの笛を吹いたことも、彼らのラフプレイを助長させた。だが、それで流れが好転するはずはない。むしろ自爆への道を加速させることになった。対戦国である日本人の目にも、それは哀れを誘った。
だが、彼らにとって、これは普通の出来事なのかもしれない。
ラフプレイは、反日感情というより日常が生んだ産物というべきだろう。それほどCリーグのプレイは荒い。「跳び膝蹴り」は、珍しい「技」ではないのだ。
そんな不思議な中国を相手に、日本は試合を1−0で収めた。
「いただけない勝利だけ」という気はもちろんない。しかし、見所がそうなかったことも確かだ。前半は、1点を奪ったものの、それ以外には見せ場はなし。後半は荒っぽいプレイを繰り広げる中国に、トドメを刺すことができなかった。
安田を高い位置で起用する4−2−3−1の布陣で臨んだ岡田采配が、ずばり当たった試合と絶賛する気は湧かない。後半の流れを自らの力で、呼び込んだようにも見えなかった。
敢えてほめるなら、劣勢だった前半に、ワンチャンスから1点をもぎ取ったことだ。それは日本らしからぬ「決定力」だといえる。
つまり不思議さを最大限に発揮した中国に対し、日本も日本で希な魅力を披露したわけだ。風変わりな映画を見させられた気分である。それはそれで、十分に楽しめたのであるが……。






