| 浅田真樹●文 text by Masaki Asada 小内慎司●撮影 photo by Shinji Kouchi |
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| 第19号(2006年1月23日) | |
【高校サッカー選手権】高校サッカー界の革命児から感じるノスタルジー
1月15日、東京・国立競技場。そこで見たものは、20年前の西が丘サッカー場がフラッシュバックするような光景だった。全日本大学サッカー選手権大会決勝。連覇を狙う駒沢大と名門復活を期す順天堂大の対戦は、しかし、前時代的な内容に終始した。退場者を出して10人となった駒大には、わずかに同情の余地はあるとしても、順大はまるでラスト数分のパワープレーと思しき攻撃を90分間に渡って粛々と遂行し続けた。 さかのぼること6日前――。同じ場所で行われていた試合の印象が、より一層、この日のノスタルジックな気分を強めていたのかもしれない。 1月9日、東京・国立競技場。全国高校サッカー選手権大会決勝で、名門・鹿児島実を延長の末に破り、出場2回目の野洲が初優勝を果たした。 その野洲の山本佳司監督が掲げたテーマは、“日本の高校サッカーを変える”。いかにも壮大なテーマだが、山本監督が「ロングパス、ショートパス、高速ドリブルのコラボレーション」と表現するサッカーは、非常に技術レベルの高い選手たちの手、いや足によって、具現化されていた。そこには山本監督だけでなく、選手全員の矜持が示されていた。 「高校サッカーは勝たなあかんけど、どれだけ魅力ある選手を輩出できるか。そのコンセプトをまず持って、サッカーをやっている」 山本監督は大会中、幾度となくそう言い続けた。そして、選手たちの口からも、頻繁に「魅せる」という言葉が聞かれた。過去にも、静岡学園や桐蔭学園など、個人技を中心とした攻撃サッカーを売りにしたチームはいくつかあったが、ここまで「魅せる」ことを意識している(少なくとも、口にしている)チームはなかった。彼らは好んで、ヒールパスやノールックパスを用いた。 これには、ものの見事にマスコミが食いついた。野洲が優勝校ということ以上に、高校サッカーに革命をもたらす存在として持ち上げられたのは、この巧みなマスコミ利用(本人たちにその意図があったかどうかは別として)があったからだ。野洲は一躍、高校サッカー界の革命児となったのである。 あまのじゃくとしては、ここまで持ち上げられると、さすがに「いくらなんでも持ち上げすぎじゃないの?」と言いたくなるが、久しぶりに“おもしろい選手”が揃ったチームであったことは確かである。 当初は、ジェフ千葉入りが内定していた青木孝太ばかりに注目が集まったが、次第にその対象は散らばっていった。山本監督が「うちの自慢の中盤」と称した、平原研、楠神順平、乾貴士。彼らはみな、常に巧みなテクニックと多彩なアイディアを携えて、ボールと接していた。 例えば、平原研。プレーの選択は「まずワンタッチ(パス)を考えている」というが、ときにはタメを作って、FWがスペースに入ってくるのを待ってスルーパスを出すこともできる(2回戦の決勝点がまさにこれだった)。パスを受けるときには、トラップの瞬間に必ずワンモーション入れるので、マーカーに寄せられても、簡単にボールを失うことがない。ある意味で、非常にクラシカルな“10番”。新鮮さよりも、ある種のノスタルジーを感じさせてくれるのだが、それはインカレ決勝で感じたのとは、まったく違う種類のもの。非常に心地よいノスタルジーであった。 昨年度の大会について当コラム(第7号)で、「この選手にボールが入れば、何かが起こりそうという選手は大会を通じて、非常に少なかった」と書いた。その観点から言えば、野洲には「何かが起こりそうな選手」が何人もいたことになる。 とはいえ、過去の例に照らせば、野洲は“おもしろいサッカーをするけれど、優勝はできない”というタイプのチーム。それが個人的な印象だ。今大会の私的ベストマッチは2回戦の四日市中央工−野洲戦だが、全体をコンパクトにし、整然かつハイレベルな攻守を繰り返す四中工に対し、野洲が見せた虎視眈々と一発を狙う山師的姿勢は、試合を非常におもしろいものにした。と同時に、そうした印象を強く抱かせたのである。 そのあたりは山本監督も心得ていたようで、その試合後、「今大会の結果はともかく、魅力ある選手を育てたい、という点には手ごたえがある」と話している。その言葉からは、はっきりと「魅力ある選手は育ったけど、だからといって結果が出るわけじゃない」という現状認識が見て取れた。 野洲のサッカーはおもしろかった。だが、だからこそ、その野洲が優勝したことを寂しくも感じている。誤解を恐れず言うならば、野洲を優勝させてはいけなかった。 確かに、全国的に底辺が拡大、上昇したことで、今大会を見ても全出場校の力は接近した。ベスト4を見ても、うち3校が初の国立だった。全国大会が 一部の有力校に牛耳られていた時代から、新たな時代に足を踏み入れたと見ることもできる。しかしその一方で、やはり、名門校と呼ばれるチームを中心に、トップレベルの力が低下している印象は否めない。群雄割拠を実現しているのは、底辺の上昇ばかりではないのである。 かつて存在した、“おもしろいサッカー”を無残に踏み潰す巨象は姿を消した。ときには圧倒的な戦力を保持し、ときには乏しい戦力をしたたかさで補い、常に強さを誇示する巨象が(そういえば、本山雅志を擁した東福岡は巨象のくせに、“おもしろいサッカー”をするチームだった)。高校生でありながら、「魅せる」ことを第一義としたチームが現れたことに好奇心をかき立てられる一方で、同時に感じるのは、巨象が闊歩していた時代へのノスタルジーである。 加えて、必死に石を玉に見せようとするテレビ中継が空々しさ、痛々しさを強めた。日本のサッカー界において高校サッカーが一番の人気ソフトだった時代から変わらぬトーンで中継することには、明らかに無理があった。高校選手権がすでに高校年代の日本一を決める大会でさえないことは、もう誰もが知っている。 野洲が独自のスタイルを貫いて頂点に立ったことは、様々な示唆に富んでいる。だからといって、そのすべてが必ずしもポジティブなものばかりではない。 良きにつけ悪しきにつけ、何かとノスタルジーを感じさせられた今年の正月である。 |







