| 美山和也●文 text by Kazuya Miyama 築田 純/アフロスポーツ●撮影 photo by Jun Tsukida/AFLO SPORT |
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| 第24号(2007年1月31日) | |
星野ジャパン誕生〜クリアすべき課題
同年10月16日、中国・上海。五輪各施設の工事の進捗具合を確かめるため、IOC(国際オリンピック委員会)一行は現地入りしていた。中国要人は船上パーティー(揚子江)で彼らをもてなしたのだが、そこで星野氏はジャック・ロゲIOC会長を直撃していたのだ。 「野球を五輪競技からなくさないでくれ!」 その約3カ月前の7月8日のIOC総会で、2012年ロンドン夏季五輪から野球とソフトボール競技を除外することが正式に決定。星野氏はこのパーティーが開かれるのを知り、阪神が提携する上海イーグルスを介して自分も乗船できるよう、手配していたという。日本からやってきた関係者のほとんどはその様子を遠巻きに見ながら、「何で、星野さんがここにいるの!?」と、首を傾げていたそうだ。しかし、その行動がJOC(日本オリンピック委員会)関係者に強い印象を残したのは間違いない。 一方、星野氏を送り出すプロ野球側だが、全面協力を惜しまないとは言うものの、「一球団ふたり」までとする“人材選出の平等論”を撤廃した後の対処方法が最大の焦点となっている。五輪開催期間の8月は大切な“書き入れ時”であり、「ペナントレースの中断論」と「強行論」、あるいは「代替えイベントの実施」というように、オーナー会議でも意見が分かれていたが、うまい折衷案を見出せるか。ある意味で経営陣もその手腕を試されている。 在京球団職員のひとりがこんな話もしてくれた。「五輪に選出された選手が怪我をした場合、それは公傷扱いになるのか、また、誰が治療費を払うのか、そういった細則も決めていかなければならない」――。 星野氏はONとは全くタイプの異なる指揮官だ。ONが代表監督を務めたときもこうした問題は指摘されていたが、結論は出なかった。いや、ONの人柄が全てを許してしまう雰囲気を作ったのだ。おそらく、星野氏の性格や言動からして、曖昧な決着は認められないだろう。フリーハンドで選手を選ぶことが許されたとしても、過去になし崩しにされた細則を詰めていかなければ、真の最強チームは編成されない。 采配にしても、監督・星野が強いときには必ず好ストッパーがいた。銅メダルを獲得した2004年アテネ五輪でその役目を務めた千葉ロッテ・小林雅英は、五輪開催年には34歳になる。20代で勢いのあるストッパーというと、ソフトバンクの馬原孝浩(25歳)が思い浮かぶが、クローザーの経験は実質1年しかないので、一抹の不安は残るところだ。世代交代の時期に直面したのは指揮官だけではないらしい。星野氏にとっては、手腕の見せどころである。 |








