| 安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe |
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| 第22号(2006年11月28日) | |
あきらめなかった3人〜大学生・社会人ドラフト
『山本淳 投手 24歳 TDK千曲川』 西武が山本ということは、中日が浅尾をいける。そういうことだ。その直後、中日が日本福祉大・浅尾拓也投手(写真)を指名した画面が映る。やれやれを通り越して、全身から力が抜けていった。 日本福祉大・浅尾拓也投手(181cm/71kg 右投右打・常滑北高)とは取材で何度も会っていた。本気で投げるピッチングも受けていたし、トータル5時間は言葉も交わしていた。好きな野球を楽しみたくて入った日本福祉大。当時、愛知大学リーグ3部だったチームは浅尾拓也の成長とともに2部に上がり、今秋はその2部でリーグ優勝。150キロと自分で覚えた6種類の変化球を投げるこの快腕の奮投と、僚友・岩本篤哉投手の力投で1部昇格の快挙まで達成していた。 「もう何も食べられないっす。夜も寝られなくて。自分、どうなるんすかね」 ドラフト間際、何度かSOS信号が届いていた。こんな注目株になる前から、何度も足を運んで見つめ続けてくれた地元・中日ドラゴンズ。 「中日以外だったら、社会人って決めてるんで。でも次のドラフトまでの2年は長いし……」 微妙に揺れる浅尾拓也の間隙を突くようにして、ドラフト直前になって指名を打診してきた2球団。ひとつは事情を話して退いてもらったが、西武だけは強行指名を崩そうとしなかった。 「ほんと、よかったっす!祈ってた甲斐がありました。ほんと、ありがとうございました!」 電話の向こうで、浅尾拓也の声が弾ける。 「1週間で4キロ痩せたっす」 祈るだけで、何もできない選ばれる側。プロの都合だけで作ったドラフトというルールなら、選ばれる側の希望をできるだけ尊重してこそ、長く健全に運用できるというものだろう。 「とにかく疲れました。こんな思いをするのなら、もう……。でも本当によかった、それだけです。あとは浅尾が恩返しをする番です」 4年間、靴の上から足を掻く思いで、土日だけの指導で選手たちを1部リーグに導いた成田経秋監督代行。詰めていた息を一気に吐き出すような、そんな言葉だった。 横浜ベイスターズ5巡目指名の日本通運・下窪陽介外野手(175cm/78kg 右投右打・日本大)は、来年1月初めての合同自主トレのころ28歳になる。横浜で来季13年目になる多村仁が2学年上、ポジションを争う小池正晃は2歳、吉村裕基は8歳も年下になる。 10年も前の話だから覚えている人も少ないだろうが、下窪陽介はセンバツ甲子園の優勝投手である。鹿児島・鹿児島実業高当時は変化球を低目に集めて打たせて獲り、九州No.1の技巧派投手だった。日本大に進んで50m5秒8の俊足と強肩を買われて、1番・センターで1年生の時からリーグ戦に出場したが、周囲の期待ほど結果は出せなかった。 強烈なプロ志向を抱いて進んだ社会人野球・日本通運でも、故障と伸び悩みが続く。後輩が何人も、先を越してプロ入りしていった。24歳で付き合いが始まって、25歳を越しても会うたびに下窪陽介は「まだ遅くないと思ってます」と言い、いつも前を向いていた。 この夏の都市対抗。4番を打ちながら、チャンスに当てにいく進塁打狙いの打ち方を繰り返していた下窪陽介に、ついキツイ言い方をした。 「4番が当てにいってたら、チームがなめられるんだぞ!」 次の試合からスイングが変わった。振り切ったバットが背中を叩くほど、フルスイングするようになった下窪陽介。こっちが余計なことを言ったからじゃない。毎日見ている監督が、誰よりもそんな勝負を賭けない4番にジリジリしていたはず。 「辛抱してよかったです。やっとプロに行けます。年のことは忘れるようにしてましたから。やっと行けます」電話の声がにじんでいた。「やっと……」。たぶん、4回は言っていた。 「プータローにならなくて、ほんとによかったなぁ。」祝福するつもりでかけた電話の第一声が、こんな言い方になってしまった。 ロッテ5巡目指名の愛知学院大・江口亮輔(177cm77kg・左投左打・愛知大成高)はすべり止めの就職先をどこも決めずに、プロからの指名だけを待っていた。 「プロでもこんなカーブ投げられる左ピッチャーは工藤公康(巨人)だけじゃないですか」 愛知学院大・田中洋監督がそう言い切ったのが、2年生の春。 当時は隠し玉としてプロからも秘かに高い評価を受けたサウスポーが、その後徐々にその必殺カーブの落差を失っていく。本人も悩み、恐らく周囲はもっと悩み、苦しんだ。練習にリーグ戦に、何度か顔を出していたプロの使者たちの足も、次第に遠のいていった。 「手先の加減で落差を出していたカーブだったので、体にパワーがついて腕の振りが速くなったせいで、曲がらなくなったんじゃないですか」 ポンとそこへ放り出すように、他人事みたいに話すのがクセの江口亮輔。それでも、みけんに刻み込まれた細かいしわが本人の苦悶を物語る。 「自分に負けたくなかった。一緒に投げてきた山名にも遅れをとるわけにいかなかったし」 2本柱でチームを支えてきた山名康造。サイドスローから闘争心丸出しで投げ込むこの好投手も今年のドラフト候補に挙がっていた。腕を競うようにふたりで投げて、秋のリーグ戦を制覇。明治神宮大会にもコマを進めてきた。 「うれしいです。とにかくホッとしました。指名されてももっと下だと思ったし、育成だってあると思ってました。ホント、あきらめなくてよかった。自分、あきらめませんでしたから」 気持ちをむき出しにした江口亮輔の声を、その時初めて聞いた。サウスポーは最後の最後まであきらめてはいけない。プロは最後までサウスポーを探している。 千葉ロッテが愛知学院大・江口亮輔をドラフト指名しようと決したのは、彼の学生生活最後のマウンドとなった明治神宮大会の近畿大学戦。5回途中からのリリーフを投げきって、140キロ台にパワーアップした速球と再び曲がり始めたカーブで2安打5三振に抑えたその試合だった。 |







