2月14日深夜・・・。
今週の練習も終わりました。ほんと厳しい一週間でした。来週からは質は落とさずに量は徐々に落ちていきます。
最近、取材で何故キックボクシング・ムエタイなのか?と聞かれることがよくあるのですが、毎回いろんな思いがありすぎてうまく言葉にできずにいます。明確な答えが出るかもしれないと思って、昔の思いなどを書いた手帳をあさって見てみました。
今、K−1に出る武田選手が遺書を書いたとかで話題になっていますが、実は僕も大学1年の時に親に宛てた遺書をすでに書いてました。内容は大体覚えていましたが、下手くそな字で書いてありました。我ながらこの子はキックボクシングとその仲間を愛しているんだなあというのがヒシヒシと伝わってくる文でした。
僕がキックボクシングをはじめたのは中学2年のときでした。別に最初はキックボクシングは好きでもなんでもなかったんです。強くなれればそれで良かった。ただやっていくうちにキックボクシングの魅力にとり付かれていく自分がいたんです。
嫌なことがあってもサンドバッグを叩いているときは全部忘れることができた。中学の先輩に殴られても、彼女にふられても、親に超怒られて家出したときも、ジムに行って、そこにあるサンドバッグを叩いている瞬間だけは忘れることができた。殴られる痛さはもちろん、殴る痛さもわかった。
ジムの先輩の世間的には決して有名ではなかったけれど、超一流のアスリートとしての超一流の思想、人間性、そして会長の一本筋通った技術論、精神論に感銘をうけました。学校の先輩はただの年上でただ年が上なだけで威張りちらしていたけど、ジムの先輩達は違った。年が離れているせいもあるけど、すごい大人でかっこよかった。こんな年の離れている奴にも対等に接してくれた。
学校の先生は僕を一人の生徒=子供としてしか扱ってくれなかったけど、会長は一人の人間=大人として自分に向き合ってくれた。重要な話をしてくれた。たとえ中学生でも試合に出ればジムの一選手として出られるのが嬉しかった。セコンドが一丸となって僕を応援をしてくれるのが嬉しかった。
リングに上がるのに年齢も肩書きも職業も関係なく殴りあい、そこは高校生だろうが中学生だろうが先生だろうが、警官だろうが極道だろうが総理大臣だろうが最後はそこに立っている者が正しくて、すべてが肯定される世界だった。
衝撃だった。こんな世界があったのか・・・。
あまりにも残酷で平等な世界に、中学生という若さで触れてしまった。自分の活躍次第でどのようにもなれる。小さいころから憧れたHEROにもなれる。こう思っている自分に気づいたときには手遅れだったんでしょうね(笑)。
何をやるにも中途半端な自分が、初めて根気良く努力して挫折しても立ち上がることができた。雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も休まずジムに通い続けた。自分の人生を表現するのはキックボクシングしかない!!・・・と。
僕がそうだったように、もしかしたら自分の戦いをみて、誰かが元気が出るかもしれない、勇気も与えられるかもしれない。ひょっとしたらひょっとして命さえ救ってしまえるかもしれない。そんなことがあれば僕は本当に心から嬉しいんです。ただの偽善だと思われるかもしれないけど・・・。自分がキックをやることによってそんな可能性を感じたんです。
自分のために戦うのはもちろんです。名誉、名声、金、自分の目標のため。でもそれと同時にときとして誰かのために戦うってことも素敵なことじゃないですか。前から言ってますけど大江健三郎は「チャンピオンとは人の代わりに戦う人」と定義しています。
とにかく僕はキックボクシングが、名古屋JKファクトリーが、そしてそのジムにいる人間が好きなんです。