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増島みどりの五輪コラム 北京五輪 Beijing summer 2008 スポーツライター増島みどりが 代表を、北京を、密着リポート

なでしこのエース、3度目の正直

澤 穂希/サッカー

2008年05月21日 17:00

「3度目の正直は結果にこだわる」

17歳で初めて出場したアトランタオリンピック(※1)は、とにかく「怖いもの知らず」(澤)でドイツのGKに向かって突進した。ドイツ、ブラジル、ノルウェーと頑丈な体の女性たちに向かって、ただ体当たりしていった無謀な自分が懐かしいという。ただ試合をしただけ、1勝も引き分けにすることもできずにあっという間に終わったこと、そして体に染み込む悔しさ、それだけを覚えている。

「世界の厚い壁」の存在を体で感じたことは、か細かったティーンエイジャーを変えるきっかけにもなった。アトランタで知ったアメリカ、ドイツの選手たちの壁を何とか破ろうと単身で米国へ渡り、デンバーからアトランタと女子プロサッカーリーグ2クラブでプレーをする。ホームシックにかからなかったわけじゃない。でも、泣いてしまうから、と家には電話をしないと決めて歯を食いしばった。来る日も来る日も、フィジカルでは圧倒的な強さを持った外国選手たちに空中ではじき飛ばされ、引きずられ、それでも澤 穂希は踏ん張った。

2004年、アテネ五輪出場をかけたアジア地区予選が始まる年、米女子リーグの休止もあって帰国。ここから「なでしこ」の快進撃も始まることになった。9年間勝てなかった北朝鮮を破って2大会ぶりの出場を叶える。予選中に痛めた右ひざ半月板は、手術が必要だった。松葉杖をつき、この大会が最後なんだと自分に言い聞かせてリハビリをこなし、その後に起きた内転筋の肉離れにも耐え抜いた。

2004年アテネ五輪(※2)、アトランタ以来立ったピッチに手応えはあった。オリンピック開幕前に行われた強豪・スウェーデンとの一戦に1-0で勝って波に乗る。ナイジェリアには0-1で敗れたが、準々決勝へ進出。優勝候補の筆頭、かつてプレーをし、一度も勝てないアメリカと対戦するチャンスが巡ってきた。澤を含めて故障者が相次ぎ万全のコンディションではなかったこと、そしてアメリカに有利となる微妙な判定が流れを変えてしまう。しかし、あの1-2の敗戦があったからこそ、澤は今、自身3度目のオリンピックに臨むことになったのだろう。

「個人的にも、なでしことしても、あれは納得のいく戦いではなかった。不完全燃焼です。本当は、あの大会で、もうオリンピックに来ることもないな、と思っていたのですが、逆になりました。3度目の正直は何としても結果にこだわりたい」

五月晴れのピッチで、澤はそう言った。

インタビューの日、ちょうど4年目の「誕生日」だった。初めてひざの大きな手術をし、辛いリハビリを重ねてからの4年は、早かったという。29歳になったが、おそらくマイナスなんてひとつもないはずだ。肉体的にも、以前よりもずっと体脂肪が減り、動きにはキレがある。経験は厚みを増した。MFとして、2月の東アジア選手権では、一列下がったポジションで新境地を開き、チームは困難な条件を乗り越え、初めてのタイトルを手にしたばかりである。何よりも、17歳にも、25歳にも決して見ることのできなかった「視野」が今の澤にはあるのだろう。

国際Aマッチは男女問わず日本歴代最多の132試合、ゴールもトップの66。日本サッカー界のプライドは、いつもポニーテールをきつく結んで、風を切る。

「2大会では見えなかった視野」

──いよいよ、オリンピック前、五輪代表候補として最後の国際大会アジアカップに向けての合宿(岡山、5月14日〜23日)がスタートしますね(24日からベトナム遠征)。今日が、手術から4年なんですね。早かったですか。それとも長く感じましたか。
 もう、北京までにやらなくてはいけないことが山積みです。時間を無駄にしないように、集中していい練習を皆で重ねて行きたいです。そうなんです、5月7日で手術から4年。長かったような、でも早かったような不思議な感覚ですね。アテネの前を思い出します。ひざの手術をして、一日も早くピッチに立とう、みんなとプレーしたい、と思いながらリハビリをこなし、やっとよくなったら今度は負担がかかってしまったのか内転筋の肉離れ。そんな状態のままアテネを迎えてしまい、コンディションは決してよくありませんでしたね。ですから今回は、コンディションを万全にしたい。筋トレはずっと続けているので疲労も溜まりにくく、地道だけれど腹筋や背筋などで体幹を鍛えることも怪我の防止につながるし、最近は食事の面も注意しています。チームスポンサーの協力で20品目入った食事を摂ることにしたのですが、玄米とか雑穀、これって体調にいい感じがしますね。

──雑穀、今、女子選手の間ではなかなかのブームですよ。29歳で3度目の五輪とは、本当に全ての機が熟しているようにも見えますね。
 肉体的にも今のほうが締まっていると思いますし、経験を積めたことによって、若い頃には見えなかったものが見えるようになってきたのかもしれません。今年2月のアジア選手権で、キャプテンの磯崎(池田浩美、TASAKIペルーレFC)が体調を崩してしまって欠場したとき、佐々木(則夫)監督に『澤、今日キャプテン頼むから』と言われたんですね。以前の自分だったら『そんな大一番の前に』と、とても慌てたと思う。けれども試合が始まったら、本当に回りがよく見えていて最後まで落ち着いてプレーができた。

──以前の視野が90度くらいなら、今は180度。
 エーッ、そこまであるのかはわかりませんけれど、以前には見えなかった動きとか読みとか、ピッチで起きているいろいろな動きを捉えることができるようになった実感は、あの大会で得ることができましたね。

──東アジア選手権(※3)では、なでしこ初優勝とMVP両方を手にされました。
 MVPは1人のものじゃなくてチームのものですし、あの初タイトルはなでしこ全体にとって本当に大きな自信になりました。北朝鮮、韓国、中国と強豪揃いの中、あんなに動じないというか、誰も苦手意識を持たずに、自然に試合に入って行けたのは初めてでしたね。大会前に監督が代わったことで、どうなるのかな、と不安がないわけではありませんでした。でも佐々木監督はどっしり構えていて、『いいか、最初からうまくいくはずないんだ、いいからどんどん失敗しろ、そこで修正していけばいいんだから』って言ってくれましたね。それが、みんなの力を引き出し、これまでとはまた違った一体感を生んだとも思います。4年前と大きく違うとすれば、私たちはアジアチャンピオンとしてオリンピックに挑むということ。4年前とは違う自信とプライドを、みんなが持っています。

──東アジアで初めてボランチのポジションを務めたことも、視野や自信をもたらしたのではないでしょうか。
 正直、これで何かまた新しいモチベーションを持つことができたのかな、と思う手応えがありました。前にいるとどうしてもマークがきつく、常に相手を背負ってプレーすることになります。それはそれで、もうずっと戦ってきたスタイルですが、ボランチに下がることによって前を見てボールがもらえるのでプレーの選択肢が増えますよね。それと、監督には以前から、澤は守備もうまいと指摘してもらうことがありました。昔から攻撃が大好きだから、とにかく相手のボールも奪っちゃって早く攻撃にしてしまおうって、本能的にボールを追ってきたからなのかな。ボールを奪うポイントは、チーム戦術でもとても重要になってきます。

──いずれにしても運動量は増えますね。不安は?
 これで持つのかな、と思った試合もありましたけれど、うちはFWが守備の面からもずっと連動してくれているので、ボランチはボールを追って奪いやすいチームプレーが成り立っていると思う。本番の試合は暑くなるでしょうから、その追い込み方も北京前の大きなテーマですね。どっちにしても、楽して得るものなんてないですから。力を出し切り、とにかくやり切ったと思うプレーをしたい。アテネではそれができませんでした。過去では一番よかった準々決勝に進んだと言っても、コンディションの問題などで不完全燃焼でアメリカに負けてしまった。3度目の正直となる北京では、勝利と完全燃焼、この両方を何としても実現したいんです。リベンジと言ってもいい。

──アテネでは、開会式の先陣を切ってスウェーデンに快勝、その闘争心溢れるプレーが日本全体のアテネ五輪でのメダル量産につながったと評価されましたね。
 今回はニュージーランドとの初戦になりますね。日本で最初の競技としてスタートすることは、注目も期待も大きいし、責任も感じます。でも光栄です。なでしこ全員がそう思ってプレーしますし、ほかの競技とのつながりが持てることがオリンピックの醍醐味ですよね。私たち、いつも本体の選手村には(サッカー会場は別の場所になるので)入れないのが残念なのですが、ほかの競技の選手や成績を知って、それを励みにできる。それもオリンピックならではの楽しみですから。水泳とか柔道といった個人競技は普段見るチャンスもないのでとても楽しみです。もちろん、男子のサッカーとは一緒にがんばりたい。

──具体的な目標は
 難しいグループですが、予選突破は絶対にしなければ。ここで予選敗退してしまったら、アテネの悔しさを忘れずにここまで積み重ねてきたみんなの努力も実らないし、協会やクラブ、自分やなでしこを支えてくれた家族やたくさんの方々の支援への感謝もできないと思っています。予選突破し、そこから厚い壁を破りたい。1つ勝てば準決勝でメダルが見える。ドイツとアメリカは、最初にアトランタに出場したときにも同じグループで勝てなかった。

──アメリカには19戦で1勝もしていない
 不思議な巡り合わせだなと思いますし、とても楽しみです。12年経った今回、何が起きるかわからないし、絶対に最後まで諦めません。だから今は、3度目の正直がいったいどんな中身になるのか、本当にワクワクしているんです。

「日本代表は、私の家族」

──Aマッチの出場試合数、ゴール数とも日本選手として最多になりました。初めて代表のユニフォームを着てピッチに立ったのは93年12月だから15歳ですね。4得点の鮮烈なデビューからもう人生の半分を、代表と過ごしたことになるんですよね。
 もう、びっくりですよね。ここに指定席はありませんから、いつでも必死でした。また行きたい、もっとうまくなりたいって、いつでも代表でのプレーを楽しみにしていたし、代表のユニフォームにふさわしい自分でいなくては、って思っていましたね。15歳の頃は、ただただうれしくて、試合に出たくて、それだけでしたけれど。

──100試合を超えたあたりから、心境の変化もあったのではないでしょうか。
 特別でしたね。でも今は、とにかく1試合でも多く、代表の試合を重ねたい、自分の限界までなでしこでプレーができればいい、と強く思うようになった。30歳が近くなるとどうなんだろうと不安になることもあったけれど、むしろこの年になって初めて、気持ちと体が一緒に並んで走ってくれているように感じます。昔は、気持ちだけ先に行ってしまったり、体ばかりが動いていて回りは全然見えていないとか、バランスが取れていなかったのが、今はいい流れに乗れたのかな、と思える。現役をとことんやり尽くしたい、と。

──日本サッカー界のプライドとも言える存在ですからね。
 サッカーを始める女の子たちが、『将来はなでしこになりたいです』なんて言うのを聞くのは本当にうれしいですし、責任も感じる。だからオリンピックでは結果がほしいんです。代表、そしてアテネからはなでしこになりましたけれど、15歳から私はずっと日本代表と一緒にここまで成長してきたんですね。サッカーの試合を思い出せば、そのときの自分も、人生も、思い出すことができる。辛いこともあったし、楽しいこともうれしいことも、全ていつでも代表と一緒に乗り越えてきた。だから、日本代表は私にとってかけがえのない家族と同じです。成長を見守ってくれ、励ましてくれ、ときには叱咤してくれる。北京では、みんなで納得のいく試合をし、それが少しでもみなさんへの感謝に代えられればいいなと思います。ベストコンディションで本番に臨めるよう、残る時間を大切にします。応援してください。

※1…グループリーグでドイツ、ブラジル、ノルウェーと対戦し3戦全敗。
※2…グループリーグでスウェーデンを破り(ナイジェリアには敗戦)、決勝トーナメントに進出。準々決勝ではアメリカに1-2で敗れた。
※3…北朝鮮、韓国、中国と対戦し3戦全勝で優勝。

■澤 穂希(さわ ほまれ)
1978年9月6日生まれ、東京都府中市出身。
なでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ)ディビジョン1の「日テレ・ベレーザ」所属。ポジションはMF。1991年読売サッカークラブ女子・ベレーザ入団、99-2000年コロラド・デンバー・ダイヤモンズ(アメリカ)、00-04年アトランタ・ビート(アメリカ)を経て、04年から日テレ・ベレーザ。15歳でサッカー女子日本代表デビューを果たして以来、国際Aマッチ132試合に出場、66ゴールをあげている。AFC(アジアフットボール連盟)年間最優秀女子プレーヤー(2004年)、日本女子サッカーリーグ最優秀選手賞(2006年) ほか受賞多数。

2008年05月21日 UPDATED!